苦手な科目だけプロ家庭教師に頼み、後は独学(受験勉強するなら覚悟も必要!?)

大学受験の選択に迷う犬

先生は神様でも無ければ悪魔でもない、ただの人間である・・・

 またまたまた前回の続きではあるが、とりあえず大学受験の選択肢のカテゴリーでの、苦手な科目だけプロ家庭教師に頼み後は独学は、今回で終わりとするつもりである。もしかしたら加筆するかもしれないが。

 最後ではあるが、ちょっと面白くない話をしておく。そのくせ、大学受験、さらには人生にとって非常に重要だが、あんまりみんなが見ない所、見させないようにしている所であろう。

 大学受験云々だけではなく、人生の全てに関係しているのであるが、学校では教えてくれない情報ってものがある。教えてくれないどころか意図的に隠しているのではないかとすら思われる。
 犬も気づくまですごく時間が掛ったし、環境的にそうせざるを得なかったという面も多いが、気づかされた結果は残酷であった。本当に残酷であった。同時に今まで半分封印してきた話でもある。だって辛いから。

 犬がまだ子犬であった時は、世の中は善良で、一生懸命頑張る犬?には無制限の援助が得られるとばかり考えていた。だってみんなが言うような「良い事」をしているし、みんなが言うような「悪い事」をしないんだから。実際のところは微妙であるが。
 そんな御花畑が成立するのは、中学ぐらいまでであった。無駄に勉強が出来たので調子に乗っていたのであろう。今考えると、周りの迷惑考えずに、好き放題やっていたな、と、思う。学力という暴力で、先生泣かしたりしてたヤクザ犬状態だ。
 高校に入ると、出来なくは無いが、そこまででは無いね!って感じになる。そりゃあ、独学とはいえ、高校受験で結果出したからね。そうなると入る高校も偏差値70オーバーの進学校だ。周りも非凡な奴らばっかりだ。
 それまでは勉強・スポーツ・生徒会活動でブイブイいわしていた状況から一転、スポーツ以外は凡人となり果てたわけである。そもそも進学校ではその高校で部活に入っているのでもなければスポーツでの活躍なんざどうでもいい。
 では学業はというと、犬の家庭では、教育の為にお金を出すという考えが希薄であった。「学校の授業で教わっているのに、なんで塾や予備校が必要なんだ?」親父からしてこんな思考である。犬も中学時代まではそうであった。
 とはいえ、高校でメッタ打ちに打ちのめされる事になる。高校の勉強となると塾や予備校で「プロ」に習った生徒相手に、独学の犬は苦戦することになる。そりゃそうだ。一から十まで土地を知り尽くした人が道案内してくれるのと、全く未知の土地に何も無しで置いていかれるのを比べるようなものだ。目的地までにつく時間に圧倒的な差が出て当たり前である。かろうじて得意科目はそれなりのレベルをキープしていたが、やる気の無い苦手科目は悲惨な偏差値となった。だって、だれも修正してくれないからね。しかしゴミのようなプライドだけはいっちょ前な犬、当面のプライドが保たれてとりあえず心地よい人間関係の中学時代のヤンキー街道に足を突っ込む事となる。
 もしかしたらそのうち書くかもしれないが、自業自得の環境に突っ込む事となる。結構転がり落ちた。ちょっと極端か。
 気が付くと、高校は何とか卒業したが、大学受験どころの話ではなかった。大学受験どころではなく大荒れの状態の高校生活であった。犬のような自称「賢い犬」が浪人!?犬も両親もその現実に向き合えず狼狽する。アホか?と疑われる。やるべきことをやらずして結果を求める??アホである。そこで狼狽???アホの極みである。

 ・・・そこから一念発起して東大に受かったりするのであるが、それはおいておいて、そこまでで学んだ人生訓、たかだか20歳前後そこそこの経験で偉そうに語るな、と、言われそうだが、その後の社会経験でも同じであった。

世の中、自分に何かしらの他とは異なる圧倒的な物が無ければ、自分なんてどうでもよく、周りの都合で動いていく。それが嫌なら、他とは異なる何かしらをしないといけない。

 そんなものである。仮に犬が今、脳卒中とかで死んでも、世の中はそんな事はお構いなしで回っていく。そりゃあ、犬がアメリカの大統領とか日本の総理大臣とかなら大騒ぎであろうが、実際は犬が死んでも、世の中にとって明日晴れるのか雨が降るのかの影響力の遥か下である。その程度である。家族やごく親しい人以外、犬の生死なんてゴミ以下の価値である。

何か特別な何かが無ければ、他から何かして欲しい(=テークが欲しい)のであれば、自分から与えないと(=ギブする)ダメである。

 実際、世の中は、非常にドライである。しかし、どこの予備校や塾を見ても、この負の部分と正面から向き合っているのを見たことが、まず無い。これは学校だって同じである。悪い意味で綺麗事ばかりである。きっちり負の部分と向き合え!と、いう思いもあり、この記事を書いてみた。
 ・・・犬も中学までは非凡であったが、高校で進学校に言った瞬間凡人となった。これから、そこで感じた思いっきり嫌な話をする。それが嫌ならブラウザバック、である。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
  
 
 

 

  
 
 
 

 

 
 今日、目の前にいた親切な先生が、もし、自分がサービス残業するかあたながこの1問が解けないとするとなれば、どちらを取るであろう?
  少し、ハードルを上げよう。今日、目の前にいた親切な先生が、もし、自分が交通事故に遭うかあたながもう一年浪人するとなれば、どちらを取るであろう??
 もう少し、ハードルを上げよう。今日、目の前にいた親切な先生が、もし、自分の資産が1000万減るかかあたなが医学部いけないかとなれば、どちらを取るであろう???
 さらにハードルを上げよう。今日、目の前にいた親切な先生が、もし、自分の子供が死ぬかあたなが死ぬかとなれば、どちらを取るであろう????


 
 
  
 
 

  聞けるかね?犬は怖くて聞けないね。
  
 
 

 非凡であった時の犬であれば、それが理由でちやほやされた。多少の甘えも許されたし、若干の特別扱い的なものもあった。
 環境が変わって凡人となった時の犬は、周りからすれば、ただの面倒くさいヤクザ犬である。
 そんな状況で、周りに対して何もギブしていない犬は、社会からつまはじきにされて当然である。

 ここまで読んだのであれば、おのずと何を言わんとしているのかが分かるであろう。今まで、もしくはこれから相手をしてくれる「親切」な先生に対してだ。

 何か特別な繋がりでもない限り、先生を含む他人は何かしらの利益があるからこそ「親切」にしてくれる。全くの自己犠牲的な献身は余程の例外が無い限り、あなたの母親ぐらいしかしてくれないであろう。これが事実だ。

 大学時代に塾講師をしていた時も、「純真」な女子大生講師達がこの狭間に押しつぶされて泣きながら辞めていった。高校時代に多少耐性がついてはいたが、やはり見ていて少々きついものがあった。
 もっと勉強したいけど、費用的な面で諦めないといけない生徒が一定数いる。凄い結果を出して特待生にでもなれば別であるが、そうでも無ければ、塾側も会社や講師・職員を守らないといけないので、どこかで線引きが必要である。
 思った以上に打ちのめされてやられる学生講師は多い。塾は営利企業である。売上あっての企業である。雇われている講師もその恩恵の一部にあずかっているのである。犬もそうであったが人によってはそれによって何とか生活が成り立つ苦学生も少なくなかった。逆説的に学生時代からずっと続けているような講師はここの側面に正面切って格闘し、自分なりの結論に至った人達ばかりであろう。天使のようにはいられない。生きていくために他の生き物を食べないといけないのは、神の作りたもうた原理・法則である。
 

 ・・・まあ、ある意味義務教育や公立高校・国公立大学のような「公の教育」以外は「贅沢品」って考えもできるし、そう言われた事もあるので「私教育」である予備校や家庭教師による学習は「贅沢品」というスタンスで、対応するのが良いのかもしれない。

 今回は、今回も?かもしれないが、完全な犬の思う所を書いただけであるので、異論反論オブジェクション!はあって当然だと思う。ので、まじめな意見に対しては、いつでも原稿書き直しの覚悟は出来ている、と、犬は思う。ちょっと悲しいが。

予備校や家庭教師は「私教育」なので、より良いテークを求めるのであれば、より良いギブをしないといけない

良いギブが無ければ、自身で策を考えないといけない

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完全に独学(費用は!?)
に続く・・・

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